創刊した1992年に誌面で掲載されていた4つの施設・人物にクローズアップ!
調査に出たフミ、りつが目にした「今」を、ご紹介します!!
ケンコー食品工業 株式会社
創業50年を迎える今! 「安全な食品を消費者に」をモットーにした商品作りは続いているのか?
記念すべき創刊号を見ていたところ、30年以上前にも関わらず、無農薬の大豆や塩分カットを売りにしたお店を発見。自分が生まれる前から健康志向の商品を作っているところがあったということを知り、取材を決定!!
いざ『ケンコー食品工業』さんに突撃すると……店内には体に優しい素材で作られた醤油などの商品がずらり! 今も変わらず30年前のモットーは続いていました!!
あれから30年経った今、さらにパワーUPして、宮崎大学、都城市との産学官連携により都城市の在来種「みやだいず」の栽培に成功。そのプロジェクトの成功に至るまでの苦労や楽しみを吉田社長が、赤裸々に話してくださいました。
こだわり抜いた原料から作られる商品はすべて無添加! 中でも高い人気を誇る味噌も、もちろん「みやだいず」を使用。口当たりがよく濃厚で絶妙な甘さを持つ「みやだいず」は、県内外問わず多くの豆腐屋さんへも届けられています。3月号のグルメ特集に登場している『前田豆腐』さんの豆腐にも使用されています! 大豆作りを一からはじめたこともあり、農家さんとの関わりを持つ機会が増え、今ではオリジナルのコラボ商品も多数。進化を続けているのは、社長の努力や天真爛漫な人柄もあってこそだと、今回の取材を通して実感しました。
そんな『ケンコー食品工業』さんが商品開発の傍ら行っているのが「味噌作り」などの体験教室。子どもから大人まで楽しめる充実の内容で、食育を学ぶことができます♪ 18歳以下の子どもがいる家庭には嬉しい直売店での10%割引も絶賛実施中です!!
都城市鷹尾3丁目28-21
パーシモンラケットクラブ (現:クラブハウスイワキリ)
創刊時から続くテニス教室の気になる真実を解明!!
大勢のギャラリーが集まりテニスを観戦している大きな写真を創刊時の記事から発見! 記事の下へ目をやると、なんと施設内にはレストランも。今は耳にしない『パーシモンラケットクラブ』という名が気になったことから今回調査を決定! その場所に行ってみると……そこにあったのは本誌でもお馴染み『クラブハウスイワキリ』。テニス教室という共通点はあるもののいったい何があったのだろう。
1992年当時から勤務されている本さんによると、親会社からの独立時に名前を変える必要があり改名したそう。『パーシモンラケットクラブ』の時代は、わずか2・3年という事実が判明! 気になっていたレストランについて、わずかな期待を抱いて確認すると……残念ながらこちらはすぐに閉店してしまったようです。食いしん坊のりつはちょっとガッカリ。長年経営されている中で大変だったことを伺うと、「新燃岳の噴火ですね」とのこと。広い面積のテニスコートが白く染まり、手作業で火山灰の除去作業を行ったそうです……これはつらい。
本さんは笑顔で、テニスウェアは発刊当時はまだ白が主流だったなど、テニスにまつわるプチ知識も教えてくださりました! そんな本さんの嬉しい瞬間は、生徒さんが試合に出て活躍する姿を見ることだそう。「錦織圭」選手の活躍により、一気に増加したテニス人口。次に活躍するのは、この記事を読んでいるあなたかも!?
都城市五十町2375
都城コンピューター専門学校 (現:都城コアカレッジ)
30年経った今! 都城市の就職状況&若者の動向はどうなっているのかをリサーチ!!
1992年の記事に、時代を感じる卒業式の様子と地元就職に関する話題を発見! 『都城コンピューター専門学校』……今は聞かない名前。他ページに掲載されている生徒募集の内容を見ていると、『都城コア学園 都城コンピューター専門学校』という名称が!! こちらは現在も、掲載が続いている『都城コア学園』なのかを確認。すると、同じ専門学校であるということが判明したので早速取材へ!
『都城コアカレッジ』の塚本校長と、2期生として『都城コンピューター専門学校』を卒業し、現在は「ICTエンジニア科」の学科主任を務められている谷上先生にお話を伺いました。
──なぜ、名称が変わったのですか? 今も、当時の学科はあるのですか?
学科の名称こそ「ICTエンジニア科」と変更していますが、システムエンジニアやWebエンジニアを育てるという根本的な部分は30年前と同じです。ICT企業の創業者である種村良平会長が、「地域の若者は地域で学んで地域で働く」をコンセプトに、ICT時代を見越して、都城に専門学校を作りました。時代ごとに、地域や国のニーズに合わせて新しい学科も創設。平成11年には高齢社会を見据えて「介護福祉科」を、平成18年には医療の重要性を考え「医療ビジネス科」の前身「メディケアビジネス科」を作り、ICTと医療福祉のスペシャリストを育てる学校へと変化しています。
──30年前と比較して、卒業生の地元就職率に変化はありますか?
当時の就職率と比較すると、さらに地元志向が高くなっています。令和2年度の自宅から通える範囲(都城市・曽於市など)の就職率は、なんと95.8%。ほとんどの学生が地元へ就職したことが分かります。これは、同校が平成27年~29年にかけて、3学科とも文部科学省「職業実践専門課程」の認定を受け、地元の病院や施設、企業と連携し、常に職業教育を行っていることが大きな要因になっています。
──30年前の学生と今の学生の違いは?
今の学生は、「目的意識」がはっきりしていて、無駄な動きがないですね! 就活の際も、SNSなどを上手に活用して、驚かされることがあります。将来を見据えた人生設計もしっかりしているな……と感じます。その分、私達の頃のような「勢い」は、ちょっと少ないかもしれませんね。
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今回の取材で、時代の変遷に合わせて地元の若者が「地域で学び、地域で働く」ことのできる環境をつくり続けている専門学校があることを知ることができました。これからも、地元で活躍する若者がたくさん輩出されると思うと楽しみですね♪
都城市吉尾町77-8
小さな音楽会
病院や介護施設、幼稚園などでボランティアを行っていた『小さな音楽会』は、今!!
30年前に『都城医療センター(旧国立病院)』にて行われた音楽会。ピアノを弾く女性と点滴という違和感のある写真が気になり、記事を読むと「出張音楽会」の記事。「小さな音楽会」……「今でも本誌に掲載されているかも!!」と思い確認すると、なんと『三股町子育て支援センター』のイベントに同じ名前を発見。リサーチすると、やはり同じ団体! ぜひ、会いたい……と、30年前の記事に載っていた川﨑圭子さんのところへ行ってきました。
1989年に出張音楽会として、川﨑さんがスタートした「小さな音楽会」。「息づかいのきこえる距離で……」をモットーに、0歳から楽しめるコンサートや、高齢者施設での慰問コンサートを、現在も行っています。
30年以上も前に、この活動をはじめた川﨑さん。「祖父母が、子どもの頃から、私の歌や演奏をよく聴いてくれました。音大卒業後、歌声を聴かせたいという願いも叶わず、祖母が逝去。そこから、祖父母のような、おじいちゃん・おばあちゃん達の前で歌うことが私の夢に……」と、出張音楽会を、スタートするきっかけを教えてくれました。
その夢は、現在進行形! 年間50~60本の演奏会を行っているそうです。「今でも続けられるのは、さまざまな方の協力があったからです」と笑顔。現在も一緒に活動を続けている、ギターの愛川義夫さんやピアノの宇野奈津子さん、横山桂子さんと協力して、音楽を届けています。
しかし、新型コロナウイルスの影響はとても大きいそう。「高齢者施設へは伺うことができないため、オンラインでの演奏を試みたのですが、やはり機械を通した音は、高齢者の方々へは届きませんでした。改めて、生の演奏や歌の重要性を感じた瞬間でした」と話す。新型コロナウイルスが早く終息し、高齢者の方が笑顔で音楽を楽しめる日が来るといいですね!
30年以上行われている音楽活動は、さまざまなところで評価され、「三股町善行賞」、「宮崎県夢ふくらむ子育て奨励賞」、「三股町功労賞芸術部門」などの多くの賞を受賞。今後の活躍が楽しみです!!
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