No.7 フラメンコに魅せられて
フラメンコスタジオ プエルタ・デル・ソル主宰
フラメンコ舞踏家 花原 千枝美さん
フラメンコやスペインの素晴らしさをもっとアピールしていきたい――と話すのは、フラメンコスタジオ プエルタ・デル・ソルの主宰で、フラメンコ舞踏家の花原千枝美さん。
初めてフラメンコを見たのは25歳の時。東京で本場スペインの舞踏団の踊りを見た瞬間、自分が求めてきたものはこれだ! と感じたという。当時、社交ダンスの講師をしていたが、それ以来、フラメンコのことばかり考えるようになっていた。今後を模索する中で、思い切ってフラメ ンコをやろうと決意。88年、26歳で単身スペインへ渡った。
「どうしても、本場のフラメンコを学びたくて仕方なかったんです。それまでは色んなことにとらわれてきたけれど、これからは自分のために生きよう、人生を切り開いていこうって、スペイン行きを決めました。」と振り返る。
当時のスペインは、フランコ政権の名残でまだまだ後進国と呼ばれていた頃。到着した翌日も、マドリッドの中心地で大きなデ モが起きていて、多くの店が閉まっていた。「その光景はとても衝撃的で、すごい国に来てしまったなと思いました。ビックリするような慣習も多かったけど、 物価が安く、食べ物が美味しいのが救いでしたね。」と話す。
学校は、「アモール・デ・ディオス」に通った。有名な先生も多く、自分の受けたいレッスンは全て受けた。空いている時間 は、自主練習。とにかく、フラメンコ三昧の日々を過ごしていた。しかし、やってもやっても先が見えない。フラメンコが舞踊としてハードルが高いということ もあるが、スペイン語での授業にも苦労した。「踊りに言葉は関係ない、少しの英語が話せれば大丈夫という考えが、甘かった。言葉の壁は想像以上に高く、悔しい思いもたくさんしました。フラメンコは奥深く、まだまだ帰れないなぁと常に思っていましたね。」
93年からは、マドリッドのスタジオでフラメンコ教室を開設。翌94年からは舞台活動を開始、舞踏団員にも抜擢され、プロ活動を展開するなど精力的に活動した。
スペインでの生活に慣れた頃、友人から「日本を忘れてはダメよ」と言われたことをきっかけに、日本各地で幅広く短期講習や舞台活動を行うようになった。そんな活動のなかで、宮崎でスタジオを開きたいという思いが生まれ、45歳で帰国。都城と宮崎でスタジオを開設し、今年で6年目を迎える。生徒も増え、発表会を行うなど、色んな人に見てもらう機会も増えてきた。
「フラメンコを始めた当初の夢が、自分のスタジオを開くことでした。その夢も叶い、次は、フラメンコの魅力をもっと宮崎の人に知ってもらいたいと思っています。」
今でも年に2回は、勉強のためにスペインへ行っているという花原さんは、エネルギッシュなオーラが漂う素敵な女性でした。(エタン)
TEL/090-4173-8884
URL/http://chiemihanabaru.jimdo.com/
※2012年6月30日21時半~宮崎市の馬酔木(アシビ)にてライブ