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特集「都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「「東岳を追え!!」 [校歌に登場する“東岳”って?][山岳地帯で大混乱!一体どれが東岳!?][東岳にまつわる伝説を発見!?]」

読者から寄せられた『噂』をもとに、調査隊長・ガノが真相解明!

今回は『東岳』に関する噂を調査したスペクタクル巨編だ!

 

●娘が通っていた祝吉小学校の校歌の中に『東岳』という山が出てくるけど、どこの山なのだろう?

(ハイジャックス114/49歳)

 

は私もこの名前は初めて聞いた。

とりあえず、その存在を確認しようと、ネットによる調査を開始したところ──

 

 

【東岳】──山之口町と三股町の境にある標高898mの山──

 

との情報を入手することが出来た。

 

 

どうやら、東岳は本当に存在するようだ。

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「地図上では、東岳は山之口町と三股町の境にある事が判明。」

※画像をクリックすると拡大画像を見ることができます

 

しかし、ここから更に独自調査を続けるものの、東岳に関するこれ以上の有力情報は、一切入手出来なかった。

 

つまり、正確な所在地も分からなければ、どのような姿をしているのか、どのような由来があるのかも、一切分からないといった状況だ。

 

 

こうなると、東岳の姿をぜひとも拝んでみたい。

 

そして、今回の調査は『東岳の姿を写真に収める』事をゴールとしようではないか!

 

 

 

そこで、今回の調査の発端となった、東岳という言葉が出てくる校歌から手がかりを掴もうと、祝吉小学校へ向かった。

 

そして、校歌を確認すると、確かに2番の歌詞に『東岳』が登場していた!

 

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「祝吉小学校校歌」

 

 

──いつかしき山霧島高く 東岳はやさし──♪

 

 

いつかしき山……。

 

…いっ、意味は分からんが(汗)、なんとなく、壮大で立派な勇姿でそびえ立つ霧島山に対して、穏やかで見守るように座る東岳というイメージが頭の中に浮かぶ。

 

だが、この校歌から得られた情報はこれだけであった。

 

それなら、この校歌の作詞家であれば、東岳の事を知っているのではないだろうかと考えるも、昭和30年に制定された校歌である為、当人を探すのは困難という状況にあった。

 

 

 

 

これから先は、三股町・山之口町周辺の取材・調査を行い、そこで得られた情報を元に、東岳を探す日々が続いた。

 

 

(情報A)「三股町の椎八重公園付近から行ける!?」

 

(情報B)「山之口町の269号線を走っていると出てくる!?」

 

(情報C)「山之口町役場から見える!?」

 

 

数々の有力情報を元に、東岳と思われる山を撮影してきた。

 

そして、当然の如く、次のような疑問が浮かび上がった。

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「「一体、どれが東岳なんだ!?(汗)」 この中に本物の東岳はあるのか!?

 

情報を頼りにその場所へ向かうと、確かに『東岳らしきもの』は存在していた。

 

しかし、上記地図を見ても分かるように、この一帯は山岳地帯であり、見渡す限り山だらけ…。同じような高さの山ばかりが並んでいるので、素人目ではどれが東岳なのか全く判断がつかないのだ…。

 

しかも、『確実にこれが東岳だ』と立証してくれる人物がいないため、撮影した東岳が本物かどうかどうかを確認する術も無いのであった…。

 

 

 

だが、そんな時、方向は急展開を迎える!

 

 

調査を進めていく中、山之口町に『東岳荘』という老人ホームが存在する事を突きとめた。

 

東岳という名を冠する施設という事で、いやがうえにも期待は高まる。

 

そして、電話にて東岳の所在を伺うと、「恐らくこの施設から見えているのが東岳だと思いますよ」との回答が返ってきたのだ!

 

 

(ガノ)「つ、遂に見つけたぞ!」

 

 

(東岳荘)「でも……」

 

(ガノ)「……でも!?」

 

 

(東岳荘)「……私達はこの山を東岳と呼んでいますが、改めて本物かどうか問われると、これが東岳だという確証は無いので、実際はどうなんでしょうね……。」

 

 

(ガノ)「………(汗)」

 

 

(東岳荘)「でも、祝吉小学校の校歌にも東岳って出てくるんですね。私の母校は山之口中学校なんですが、その校歌にも東岳って歌われていたので懐かしいですね。」

 

 

(ガノ)「えっ、山之口中学校の校歌にも東岳は登場するんですか!?」

 

 

 

──東岳荘の名前といい、山之口中の校歌といい、どうやら山之口町が一番東岳に密接に関係している気がする。

 

そこで、調査区域を山之口町に絞り、山之口中学校の校歌の件も含め、山之口町教育委員会に調査協力してもらったところ、更に興味深い事実が飛び出してきた。

 

 

山之口町には、山之口小学校、麓小学校、富吉小学校、山之口中学校と4つの学校が存在するが、山之口中学校に加え、山之口小学校の校歌にも『東岳』が登場してくる事が判明した!

 

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「山之口中学校校歌と山之口小学校校歌」

 

 

事実確認の為、両校を訪れると、確かに校歌に東岳が登場しており、しかも、共に1番の歌詞に登場してくる辺りに、山之口町での東岳に対する重要度の高さを計り知ることができる。

 

更に、山之口小学校に訪れた際に、教頭先生より、ある1冊の冊子を渡された。

 

 

それは、先に挙げた山之口町4校で、かつて合同出版していた生徒達の文集であり、そのタイトルには『文集 東岳』と書いてあるではないか!

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「**」

 

 

そう、山之口町にとって、東岳とは、霧島山と同じような象徴的な存在であり、子供の頃から身近な存在として深く関わりを持つ山なのである。

 

 

 

ところで、肝心の東岳の所在であるが、山之口町教育委員会が保管する資料の中から、遂に東岳に関する情報が書かれた1冊の書物が出てきたのである!

 

しかし、喜びも束の間、大昔の資料であった為、全ての文字が漢字で書かれており、何が記されてあるのか解読不可能なのであった…(汗)。

 

 

東岳まであと一歩の所まで来ているのは確かなんだが、なかなか辿り着けない…。

 

しかも、ここに来てさらに混乱に陥るような情報提供が山之口小学校よりあった。

 

 

(教頭先生)「いやぁ〜、今からする話はガノさんにとっては、喜ばしくないものかもしれないんですが、先程、東岳の話をしていた時にですね、職員の一人が、今まで校歌に東岳が出てくる学校ばかりに赴任しているという言う方がいらっしゃったんですよ。

その方が言うにはですね、どうやら三股小学校東小学校安久小学校の校歌にも出てくるらしいですよ。」

 

 

(ガノ)「………!!(泣)」

 

 

 

この後、事実確認の為に3校に連絡を取ると、間違いなく校歌に東岳が登場してくるという回答であった。

 

しかし、三股小学校ならともかく、なんで東小学校や安久小学校にまで東岳が出てくるんだ?

 

これで祝吉小学校を含めると、山之口・三股以外で3校の校歌に東岳が出てくる事になる…。何か共通点でもあるのか!?

 

もう、ここまで来ると、俺の推理では解決の糸口すら掴めない…。

 

 

 

そんな時、山之口町教育委員会より、山之口町在住で、南九州の歴史や文化に非常に詳しい、ある人物を訪ねてみることを進められる。

 

それは、機関誌『南九州文化』でお馴染み、南九州文化研究会の会長を務める山下博明氏であった。

 

 

するとどうだろう──。

 

 

山下氏を訪ねて早々、今まで苦労して探して来た東岳の所在が、すぐさま明らかになったではないか!

 

そして、案内された場所へ向かうと、遂に本物の東岳が姿を現したのだ!!

 

 

都城・噂の真相!!─その噂の真相はいかに!? 「東岳を追え!!」─「写真奥の一番大きな山が東岳 おぉ〜っ、これが東岳かぁ〜!! [山之口橋を渡って矢印の方向・正面に出てくるのが東岳。この場所からはとても綺麗に姿が見える。]」

※画像をクリックすると拡大画像を見ることができます

 

 

これまでイメージしてきた通り、大らかで優雅なイメージそのままの姿がそこにはあった。

 

東岳は薩摩藩と伊藤藩の境となっている場所であり、都城盆地から見て東側にあるから東岳と呼ぶのだという。

 

これに対し、西側にあるのが西岳であるが、西岳に比べると圧倒的に東岳の方が知名度は低いそうだ。

 

ところで、祝吉小学校、東小学校、安久小学校の校歌の中にも東岳という言葉が出てくる理由を聞いてみると、恐らく『その場所からでも見えるから』というのが有力ではないかと言う。

 

というのも、その3校のある地域からでも、場所によっては東岳を見ることができるそうなのだ。

 

 

 

そんな東岳には、古くから伝わる面白い物語が残されている。そこで、今から2つの物語を紹介したい。

 

 

1つは『馬どろぼう弥右衛門(やえもん)』の話──。

 

 

──弥右衛門は、牧野原(鹿児島県)の御領牧場(殿様の牧場)から良い馬を盗んできては、馬駈け場で調練し、よその国へ高値で売っていた。

 

ところが、ある日、八兵衛(はちべえ)という豪の者が、弥右衛門が酔っぱらった隙に捕らえ、地頭館(じとうやかた)に差し出した。

 

しかし、地頭は弥右衛門を拷問するするが、なかなか馬を盗んだことを白状しない。

 

そこで、地頭は弥右衛門をどうしたらよいかと、鹿児島の殿様に使者を遣わしたところ、「そんなに馬の調練が上手なら、生かしておいて、馬の調練係の役をおおせつけるがよい」と言い、弥右衛門の死罪を許さなかった。

 

ところが、地頭たちは、殿様は死罪にせよと言われるに違いないと思いこんでおり、縛り首にする準備をして待っていた。

 

そこへ使者が早馬で戻って来て、遠くから「縛り首は中止だ! 殺しちゃいかんぞーっ」と叫んだ。しかし、それを早く死罪にせよと合図したものと勘違いし、殺してしまった。

 

その後、村の百姓や郷士たちの馬が悪い病気にかかり、毎日死んでいった。これは弥右衛門の亡霊のたたりに違いないと思い、村人達は墓石を立てて慰めたのだという──。

 

 

この話は、実話をもとに作られた物語であり、弥右衛門が地域から盗んだ馬を隠して、調練したしていた場所が、東岳の中腹にある『馬駈け場』なのだとか。

 

ちなみに、弥右衛門は百姓や郷士の良い馬も、夜中にこっそり盗んでいたそうで、弥右衛門がウソ(口笛)を鳴らすと、馬の方から大人しく出てきて、その後ろから付いて行ったそうである。

 

それで、その後、諸県地方では「馬が盗まれるから、晩にはウソふくもんでない。」と強く戒められるようになったのである。

 

 

 

そして、もう1つが『東岳の埋蔵金伝説』──。

 

 

──昔から、東岳の山頂近くには、莫大な金塊が埋蔵してあると伝えられているそうで、それは豊臣家再興のための軍資金にと、島津家が預かってきた莫大な金塊で、二十数頭の馬の背に積んで運ばれてきたという。

 

馬方達には前もって沢山の駄賃が払われ、前の晩は大変なご馳走があったそうだ。

 

馬方達は東岳の山中に埋蔵した後は、どこかへ連れ去られ、二度と自分の家に帰れた者はいなかったそうである。

 

ちなみに、その場所には、目印に三本の桐の木が植えてあるそうだ──。

 

 

 

 

長期間に及ぶ取材と捜索、そして多くの協力者の下、東岳に出会う事ができ、隠された秘密に触れる事もできた。

 

当初、ゴールに設定していた『写真に収める』という使命も果たせたので、これで全てが終わったかに見えた。

 

 

しかし、ガノの東岳調査に対する執念は、ここに来て

更に燃え上がっていた!!

 

 

 

【予告】

噂の真相!? 〜ガノ、東岳の埋蔵金を求めて〜

 

乞うご期待!(笑)