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特集「都城出身俳優・井之上隆志さんインタビュー 「暗闇の客席に向かって演じている時が一番。」 「才気ほとばしる作家の周りをぐるぐる回るような。」 遊びなのか、仕事なのか。とにかく楽しくて。」

佐藤B作さんをはじめ実力派の役者が揃う『劇団東京ヴォードヴィルショー』が都城市総合文化ホールへやってくる! 今回の公演は、戦後の日本に多大な影響を与えた文豪・坂口安吾とその妻をモデルにした物語『無類の女房』。ゲストに都城出身の井之上隆志さんを迎え、同劇団ならではの巧い役者と巧い脚本で観客を笑いと涙の世界に誘います。そこで今回、舞台やテレビ、映画にと幅広くご活躍中の井之上さんに、お話を伺いました。

井之上 隆志(いのうえ たかし)氏

 

井之上 隆志(いのうえ たかし)

 

1960年12月27日都城市生まれ。81年に劇団GAYAに入団。GAYA解散後の87年、劇団カクスコ設立と同時に参加、個性的な演技で人気を集めてきた。今はなき新宿Theater/Topsで、3ヶ月に及ぶロングランで2万人動員の記録もある。身長178センチ、体重66キロ。また、ドラムとギターも演奏し、渡鬼おやじバンドとしてCDも発売している(『熟年援歌どうだ節/あの日の夢よ』HARBOR RECORDS )。

──井之上さんは南小学校、姫城中学校を卒業されて、高校からは延岡に行かれたそうですが、今でも都城に帰省されることはありますか?

 

井之上 母と妹がこちらにいますので、帰りたいとは思っているのですが、きちんとした形での「帰省」はなかなかできません。ありがたいことに、三年前と昨年、中島淳彦さん脚本の『エキスポ』公演で宮崎に長期間滞在する機会がありました。そして、今回も『無頼の女房』で都城に来ることができましたので、それぞれのついでに帰省している感じです。

 

 

──井之上さんはどんな少年でしたか? 好きだった遊びなど、都城在住時の思い出をお聞かせください。

 

井之上 少年時代は……そうですね、落ち着きのないひょうきん者だったなあ(笑)。でも、大勢を巻き込むようなパワーのあるキャラではありません。そのへんでおさまっているような器の小さなひょうきん者(笑)。遊びは色んなことをしましたね。ここでは言えないような遊びを……これは冗談(笑)。基地遊びとかが好きでした。基地を作って、そこでたき火をして。ただたき火して帰るだけ。他には爆竹。刈り取りの終わった田んぼでパンパン鳴らしてました。ただパンパン鳴らして帰るだけ。今考えると火遊びばっかりだなあ(笑)。危ないねぇ。危険な遊びをしちゃいけません。

 

 

──当時の都城と今とを比べて、一番変わったなと思うところ、また変わらないままだなと思うところは?

 

井之上 どこの地方もそうでしょうけれど、都会に流れて人が少なくなったと思いますね。個人的なことでは、自分の生家がなくなりました。父が他界し、母が一人になった時に、妹が母を呼び寄せ一緒に住む事にしたんです。以後は誰も住んでいない状態が続いていたんですが、数年前に手放したみたいです。帰省した時に、「ああ、僕の家はもうないんだな……」とさびしく思うことがありますよ。

  逆に変わらないところは、「言葉」でしょう……と、思ったけど、この頃の若い方はあんまり方言を使わないなあ。標準語に近いですよね。あ、そういえば、僕たちの時代は学校で「標準語の時間」というのがありましたよ! 「雨の日に飴を食べる」とか言わされて、イントネーションの勉強。なんだったんだろうね、あれ(笑)。

 

 

──(笑)俳優を目指したのはいつ頃ですか? また、そのきっかけは?

 

井之上 僕は演劇とは全く縁のない学生時代でした。19歳の時、お遊びのバンド仲間から、お芝居に誘われて行ったところ、すっかりはまってしまいました。人前で、あんな大きな声で劇をするなんて、常人のやることじゃないって最初はびっくりしましたよ。

 

 

──それから劇団に?

 

井之上 そうです。劇団にさえ入れば芝居をやれると思ってました。サラリーマン生活を若干年経た後に劇団GAYAに入り、解散後残った仲間でカクスコを旗揚げ。そういう意味では、わき目も振らずにこの道一筋。順風満帆というわけにはいきませんが、ありがたいことに、ずっとこの世界で暮らせています。

 

 

──舞台やテレビ等で幅広くご活躍中の井之上さんですが、俳優というお仕事の魅力をお聞かせ下さい。

 

井之上 遊びが仕事になっている部分があって、そこが一番の魅力ですかね。遊びなのか、仕事なのか。とにかく楽しいので、毎回。

 

 

──舞台での演技とテレビ・映画での演技では、取り組み方や演技などが違うものなのでしょうか?

 

井之上 媒体が違っていても、やる事は基本一緒だと思っています。媒体の違いより、脚本や演出による差の方が大きいのではないでしょうか。ただ、僕はもともと舞台から出発していますので、暗闇の客席に向かって演じる舞台が一番落ち着きます。映像は慣れないですね。色々気になってしまって。

 

 

──これまでのお仕事の中で、印象に残っている思い出深い作品は何でしょうか。

 

井之上 つい先日(3月14日)までやっていた作品。だってまだ台詞バッチリ入ってますもん。あたりまえか(笑)。あとは、歌舞伎ですね。中村勘三郎さんに誘われて12月に歌舞伎座で行った大歌舞伎。歌舞伎俳優の中に混じって独りチンピラ役者が芝居するっていうのは、実にスリリングでした。

 

 

──今回、ご自身の都城公演は初めてでしょうか。

 

井之上 ここでの公演は初めてです。ただ、公演じゃないのですが、昨年の夏、別の芝居の鹿児島公演があったついでに帰省した時、都城市総合文化ホールの方に頼まれて、都城の「劇団こふく劇場()」の方と仕事をしたことがあります。子供たちの発表会があるから、それを観て指導してくれって頼まれたので「そんな大層なことはできません」とお断りしたら、「じゃ、出てくれ」って(笑)。それで。

 

 

──地元での公演ということで特別な思いはありますか。

 

井之上 う〜ん、照れる……という気持ちは少しあるけど、まあ、地方公演の内の一箇所だと思うようにしてます。もちろん、母は喜んでくれると思いますので、そういう意味では嬉しいという気持ちも。でも、井之上凱旋公演! ってわけじゃないですから、普通に頑張ります。

 

 

──今回の舞台ではどのような役を演じられるのですか?また、作品の見所を教えてください。

 

井之上 今回の公演では、B作さんが坂口安吾をモデルにした塚口圭吾という作家を演じられますが、僕の役はその作家友達。才気ほとばしる塚口の周りをぐるぐる回るような。塚口圭吾が太陽だとすると、僕の役はお月様。なんかそういう関係って意外とありますよね。ゴッホとゴーギャンとか、モーツアルトとサリエリとか。そんな感じ。『無頼の女房』の女房はもちろん、あめくみちこさん演じる圭吾の奥さんのことを指すのだけれど、ある意味、僕の役も、圭吾さんつまり、無頼の作家の女房的な役割なのかなと。

  見所は、なんと言っても、脚本家の中島さんがよくこの話を書いたな〜!と思わせるところ。作家が作家の話を書くの、恐ろしくなかったのかなって。あくまで「モデル」とはいえ、坂口安吾のような大作家にものを言わせているわけでしょう、「文学とは!」「生きるとは!」「死ぬとは!」って。それを感じてもらいたいですね。

 

 

──最後に、きりしまフォーラム読者へメッセージをお願いします。

 

井之上 『東京ヴォードヴィルショー』は、21歳くらいの頃から憧れの劇団で、実は門をたたきたいと考えたこともあったほどで。それが、こんな縁で、まさか同じ舞台に立つことになろうとは……。僕が入りたいと思ったほどの劇団ですから、それはもう本当におもしろいに決まっているのです! だから、ぜひ見て頂きたい。あのね、みーんないい感じでして、いいおっさんが一生懸命バカやっている。これが、とってもステキなんです。脚本も面白いです。ぜひ。ぜひお越し下さい!

 

 

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劇団東京ヴォードヴィルショー『無頼の女房』 ポスター

稽古の忙しい合間にもかかわらず、丁寧にインタビューに応じて下さった井之上さん出演の、劇団東京ヴォードヴィルショー『無頼の女房』は4月25日(日)、都城市総合文化ホール(大ホール)にて、15時開演(14時30分開場)。

 

チケットは全席指定、一般3,500円、学生1,500円(当日券は+500円)でMJチケットカウンター、ローソンチケット、チケットぴあで絶賛発売中。良いお席はお早めに!

 

この機会にぜひ、本物の舞台を生で体感してください。(順)

(クリックで拡大画像を見ることができます)

※『こふくげきじょう』という名称は、四字熟語の『鼓腹撃壌』。腹鼓を打ちながら太平の世を楽しむさまから名づけられた。宮崎県内のほか、東京・福岡でも定期的に活動している)