柳田(やなぎた)酒造 合名会社
■取材協力/柳田酒造合名会社
代表 柳田 正(40)
TEL/0986-25-3230
都城市早鈴町14街区4号
今回は明治35年創業の柳田酒造合名会社代表の柳田正さん(40)に話を伺いました。
当社は都城で最も古い焼酎蔵です。家族で手造りのため、生産量は年間450石(一升瓶で4万5千本)と、大量生産はできませんが、国産麦100%にこだわり、飲んでくださる方を想いながら丁寧に造っています。
芋焼酎が主流の南九州で、創業から三代目まで千本桜という芋焼酎を生産してきましたが、四代目の父は、芋焼酎造りをやめ、大麦焼酎「駒」を造りました。「大手と違う土俵で勝負しなければ生き残っていけない」と、代々続く蔵を守っていくための大きな決断でした。以来、麦焼酎一筋。現在、宮崎県内で麦焼酎専門の蔵は当社のみです。
私が五代目になったのは29歳の時。東京でエンジニアとして働いていたある日、父が突然重い病に――。東京在住で畑違いの仕事をしていた兄と私。「今の仕事を続けてもいい。ただ、どちらかが継がない時は、自分の代で暖簾を下ろす」と父に告げられました。職人気質で威厳がある父の少し弱くなった姿に、「自分が継ごう」と決心しました。偶然か、必然か。当社は代々、次男が継いでいます。
そして、「あの千本桜を復活させたい」という熱い想いを胸に帰省しました。酒屋さんの挨拶回りでそう言っていた私に、あるご主人が「まずは先代が育て上げた麦焼酎をしっかりと受け継ぐのが先ではないのか」と、ガツンと一言。厳しくもありがたい言葉でした。また、同時期に、同年代の蔵元との出会いもありました。伝統を重んじる蔵の世界では、本来、製造に関することは門外不出とされていますが、互いの知識や技術を共有し、個人企業の蔵同士でタッグを組んで研鑽(けんさん)しています。
昨今の焼酎ブームで、今まで焼酎を飲まなかった方にも飲んで頂けるように、そして、地道に取り組んできた小さな蔵にも目を向けてもらえるようになりました。一人娘に将来、継ぎたいと言ってもらえるよう、今後は女性でも蔵の世界に入っていける環境づくりを整え、伝統を守りながら次の世代にたすきを繋いでいきたいです。 (順)
「焼酎造りが甕からタンクに変わる時、それまで使っていた甕を鹿児島の山川町の漬物屋に、残り3つは隣の日本舞踊の教室の舞台下に……」と、隣の家が解体されることになった時、幼い頃に祖母から聞いた話をふと思い出した柳田さん。「舞台があるところの解体は機械を使わず慎重に。甕が出てきたら教えて欲しい」と解体業者にお願いしたところ、幸いにも無傷で発見された。そして、「37年前の1976年4月28日の日付が刻印された千本桜が名古屋で見つかった」と柳田酒造の焼酎ファンの方が、芋焼酎造りをやめる2年前の貴重な1本を送ってくれた。麦焼酎にチャレンジした頃の父の年と同じ年になった柳田さん。「こんな偶然が重なるなんて。きっとご先祖様からのメッセージ」と、今年秋、いよいよ念願の芋焼酎、千本桜の仕込みに取り掛かる。
※千本桜の名称は現在、清酒メーカーが商標登録しているため、千本桜にちなんだ名前を考案中