子供達の剣道への関心を高める為に、何を先ず考えたらいいのか頭を痛めている。
現在、少年剣士が年々少なくなり、都城市・北諸も含めて廃部したクラブも少なくなく、今後、剣道の行く先が危ぶまれる。全剣連でも剣道の競技化又は剣道人口の減少に伴い、剣道の根本を見直そうという動きもあるようだ。
真の剣道は、剣の理法の修練による人間形成にある。日本剣道は長い歴史を経て日本人の精神文化に大きな影響を与えてきた。我々はそれを受け継ぐ1人として、また指導者として真撃に考え、剣道発展に具体的な方法を模索していかなければならない。
以前、私は全剣連発行の月刊誌「剣窓」で、剣道少年の体験実践発表で最優秀賞を授与された北田まりさん(小学6年生)の掲載作文(題名…目標)を読んで大変感銘を受けた。ぜひ皆さんにもここでその一部をご紹介したい。
───剣道の稽古で「号令」をかけることになったが、皆から返ってくる声も小さく、竹刀はばらばら、自分が思った様に皆が動いてくれません。
稽古後に兄に聞いたら「号令の間」が悪いと言われ、次の稽古の時にその事を思い出しながら号令をかけたがやっぱり同じでした。
何年か前、兄が号令をかけた時は、道場の皆が真剣になり、機敏に動いていた。兄と私では何が違うのであろう。 そこでお母さんに聞いたら「兄には兄のやり方があり違ってて当たり前、まりはまりのやり方でいいのよ。でも兄さんがどんな気持ちで剣道をやってるか考えたことある?」「え、気持ち?」私はやり方を相談したのに気持ちって。私はそれまで兄との違いを外からしか比べていませんでした。
兄は生まれた時から右目に障害があり、距離感をつかむために家でも竹刀の長さと相手の距離をつかむためにカウンターを相手に距離を確かめたり、何度でも打ち込みをしたり、人一倍練習している姿をいつも見ているのに、その事を忘れていました。
母が言った「どんな気持ち」という言葉。私は、どんな気持ちで練習をしていたのだろう。しんどい時は、顔や態度に出てしまう弱い気持ちの自分がいる。「そうか、弱い気持ち」──私は今まで兄や先輩達に頼り、誰かが引っ張ってくれるからそれについていけばいいと思っていました。先輩にも自分にも甘え、「誰かから」を待っていました。そんな気持ちが号令に出てきて、上手くいかなかったのかもしれません。先生や兄の口からは「自分から」の言葉が飛び出します。
自分から、行動やヤル気を起こす事が何より大切なんだと思いました。兄は剣道の時、いつも一生懸命です。私は兄のように心も剣道も強くなれないかもしれませんが、勝ち負けだけではなく、外見でもなく、心を鍛えいろいろな事を私に気付かせ、つらい事も楽しい事も一緒に経験する仲間がいる剣道。私から剣道を取ったら何も残らない。大切で大好きな剣道だから、私は私のやり方で一生懸命自分から必死で頑張り、真剣に向き合おうと思いました。
外見だけでなく、心の目で物事を見る、心の強い剣士になる事を目標にし、将来の夢である、小学校の先生になって大好きな剣道を通して「心の大切さ」を教えられる人になりたいです。そして、今日も一生懸命と「自分から」を忘れず、大好きな仲間と稽古します。「整列」。
───最後に「整列」で作文を終えていますが、私は小学生の北田まりさんの体験発表を何回も読み、こんな素晴しい小学生がいる事に気付き、感銘を受けた。
私は指導者として子供の心を捉える事が一番大切な事だと思っている。私の隣で幼稚園児の「3歳と5歳」の子供が竹の棒を取り合って打ち合っている。
将来きっと剣道に誘える子供だと今から楽しみに考えている。或る幼稚園の園長先生が剣道の先生で、園児に剣道着を着せ全員竹刀を持って大きな声で基本稽古をする場面が剣道月刊誌に載っていた。素晴しいことである。
私達の街ではこのような例はないように思う。子供達の将来を考えると、小さいうちから剣道のみならず、スポーツを通じて心を鍛える事の大切さを見直したい。また私たち剣道家はこの伝統文化の伝承の為、最善を尽くすと共に少しでも剣道健児を増やし、正しい剣の精神を教え、立派な人間形成の為に尽くさねばならないと思っている。